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百か日忌(卒哭忌)

去る9月28日に母の百か日忌供養を行いました。10月1日が正当百か日でしたが、遠方の子供や孫も集まるため、仕事の関係やら生きている者の都合に合わせ土曜日の午後に行いました。

龍護寺の方丈様におつとめいただきました。

       卒哭忌2

百か日忌のことを「卒哭忌(そっこくき)」と言います。
「泣き叫ぶのを卒業する。悲しみに押しつぶされるな。前を向いて進め。亡き人はそれを願っている。」という意味合いからです。
私も、お檀家さんに申し上げる内容でもあります。

私としては、母の死で、泣き叫ぶほどの悲しみの生活を100日間過ごしてきたかといえばそうではありません。葬儀の喪主のあいさつで不覚にも涙で声を詰まらせてしまいましたが・・・。
兄弟や甥・姪たちも同様でしょう。
お檀家さんを見ても、このような状況がほとんどです。

しかしながら、1年過ぎても2年過ぎても悲しみの生活から逃れられない。あるいは、思い出すたびに泣いてしまうという方もいらっしゃいます。配偶者であったり、お子さんを亡くされた方に見受けられます。
かける言葉も見つからない場合があります。

「第二の矢に射られるな」 これは、お釈迦様のお言葉です。
愛する方の「死」と言う“第一の矢”には射られても、残された方が「嘆き・苦しみ続ける」という“第二の矢”に射られるなというのです。
“第二の矢”は自分自身が射るのです。自分が見方を変えなければ刺さった矢は抜けません。



仙厓義梵(せんがい ぎぼん)という、江戸時代の臨済宗のお坊さんの話です。
絵(禅味溢れる絵)や狂歌(社会風刺や皮肉、滑稽を盛り込んだ五七五七七)で有名な方です。

ある方が、その有名なお坊さんであります仙厓さんに、めでたい書をいただきたいと願った時の事です。
その時に喜んで書いてくれた文字は、『「祖死 父死 子死 孫死」(祖父が死に、父が死に、子が死に、孫が死ぬ)』だったそうです。
それを見て、「ふざけているんですか。こんな縁起の悪い!」と怒ったそうです。 そうですよね。「死」の文字が4つ並んで、みんな死んでしまうんですから・・・。

そうしましたら、仙厓さんは、「なにを怒っているんだ。“死”は誰しも必ず来ることだ。祖父が死に、父が死に、子が死に、孫が死ぬ。こんなに順序良く死ぬということはとてもめでたいことだろう。」と言われたとか。
“死”はもちろん「不幸」だけれど、どっしり腰を据えてじっくり考えてみれば順番に死んでいくとしたら、それは「幸せ」と見ることもできるんですね。

客観的に見れば、私の場合は、父を6年前に亡くし、そして、今回の母の死を迎えましたが、それぞれ今の平均寿命程度の人生であったわけであり、受け入れられる態勢となっていたのでしょう。


全ての百か日忌の供養を、ひとまとめに「卒哭忌」という単純な言葉でくくることはできないのでしょうが、≪亡くなった方は、残された方が、第二の矢に射られてほしいと願うことは決してありません。≫ これだけは共通することではないでしょうか。


大切な命。自分の意思で頂いた命ではないからこそ、自分の意志とは関係なく命が終わるのが自然の摂理です。
命ある限り、前を向いて生きていきましょう。


卒哭忌1 詣塔諷経(お墓参り)

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Author:zenzen1213

山形県尾花沢市にある
曹洞宗寺院の住職です

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