禅をきく会 南 直哉老師
昨日、仙台の東北福祉大で行われた曹洞宗主催の「禅をきく会」に妻と行ってきました。

東北福祉大は、私と妻の母校で、5・6年前に約30年ぶりに二人でキャンパスを歩いて以来です。
5・6年前に歩いた時に感じたのは、「面影は十分にあるけれど、なんて小さいキャンパスだろう」ということです。3人の息子たちが入った東京の大学のキャンパスと比べるとですが・・・。
でも、思い出のいっぱい詰まったキャンバスです。
カメラを持って行ったので、つい、写真を撮ってしまいました。
自分たちが在学中の建物も少なくなっていましたが、八角形の福聚殿、図書館、坐禅堂、3号館、そして、かろうじて、卒業の時にはあったような気がする正面の管理棟。

福聚殿 と 図書館 福聚殿で学食を食べてきました

3号館 一番多く講義を受けた教室の建物 当時は白かったんだけど・・・
そうそう、学生時代のことばかりでは駄目でした!
「禅をきく会」の講演は、青森県 恐山菩提寺院代で、福井県の霊泉寺ご住職の 南 直哉老師 『魂のゆくえ』と題してのお話。

著書を拝見したことや、テレビでの対談などを聞いてはいましたが、生の講演を聞くのは初めてです。写真やテレビでの印象は、とても厳しい方と受け取っていましたが、聞いている方が顔を緩めたり、時には大きな笑い声となるような話しぶり、内容でありまして、私の想像とは違っていたというのが本音です。

講演の最初に、「私の話は落語だと思って聞いてください」から始まりましたから、その方向で、一般の方にとっては興味深い、幽霊のことや霊媒師のことや、あの世のこと(「あの世の世界とはこういうもの」といったようなことではありません)などなど、あるいは、一般的な恐山に対する誤解についてなど、楽しく語られました。

講演内容の一部を書いてみます。なお、講演を聞いた方で、間違っていると思われましたらご指摘ください。
幽霊はいない。見たことがない。
あの世については、釈尊は答えていない。「無記」としており、あるかないかは明確にしていない。「ある」といっても「ない」といってもおかしくなる。説明がつかない。
生きている者にとって、愛する方が亡くなっても、その方の繋がりは死後も続いている.死によって繋がりが切れるものではない。
幽霊のいる場所が恐山ではない。魂がそこにあると思えるからこそ、遠路、恐山に足を向ける方が大勢いる。だからこそ、1200年もの間、人々が手を合わせるのだ。
最後は「是非、一度恐山に来てください」 でした。

東北福祉大は、私と妻の母校で、5・6年前に約30年ぶりに二人でキャンパスを歩いて以来です。
5・6年前に歩いた時に感じたのは、「面影は十分にあるけれど、なんて小さいキャンパスだろう」ということです。3人の息子たちが入った東京の大学のキャンパスと比べるとですが・・・。
でも、思い出のいっぱい詰まったキャンバスです。
カメラを持って行ったので、つい、写真を撮ってしまいました。
自分たちが在学中の建物も少なくなっていましたが、八角形の福聚殿、図書館、坐禅堂、3号館、そして、かろうじて、卒業の時にはあったような気がする正面の管理棟。

福聚殿 と 図書館 福聚殿で学食を食べてきました

3号館 一番多く講義を受けた教室の建物 当時は白かったんだけど・・・
そうそう、学生時代のことばかりでは駄目でした!
「禅をきく会」の講演は、青森県 恐山菩提寺院代で、福井県の霊泉寺ご住職の 南 直哉老師 『魂のゆくえ』と題してのお話。

著書を拝見したことや、テレビでの対談などを聞いてはいましたが、生の講演を聞くのは初めてです。写真やテレビでの印象は、とても厳しい方と受け取っていましたが、聞いている方が顔を緩めたり、時には大きな笑い声となるような話しぶり、内容でありまして、私の想像とは違っていたというのが本音です。

講演の最初に、「私の話は落語だと思って聞いてください」から始まりましたから、その方向で、一般の方にとっては興味深い、幽霊のことや霊媒師のことや、あの世のこと(「あの世の世界とはこういうもの」といったようなことではありません)などなど、あるいは、一般的な恐山に対する誤解についてなど、楽しく語られました。

講演内容の一部を書いてみます。なお、講演を聞いた方で、間違っていると思われましたらご指摘ください。
幽霊はいない。見たことがない。
あの世については、釈尊は答えていない。「無記」としており、あるかないかは明確にしていない。「ある」といっても「ない」といってもおかしくなる。説明がつかない。
生きている者にとって、愛する方が亡くなっても、その方の繋がりは死後も続いている.死によって繋がりが切れるものではない。
幽霊のいる場所が恐山ではない。魂がそこにあると思えるからこそ、遠路、恐山に足を向ける方が大勢いる。だからこそ、1200年もの間、人々が手を合わせるのだ。
最後は「是非、一度恐山に来てください」 でした。
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