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インド仏跡巡礼報告 2

前回はお悟りを開いた “ 成道の地 ” を報告しました。

今回は2回目。 “ 誕生の地 ” です。

H27.11.28 ルンビニ園2
このワンちゃんの写真はどこでしょうか。 それは後ほど。


出発から4日目で、やっと聖地参拝です。
ルンビニ園の “ マヤ堂 ” “ アショーカ王柱 ” の2カ所で法要を行いました。

お釈迦様は、お母さんのマヤ夫人がお産のために実家に行く途中、ルンビニの花園で休まれ、かたわらにある無憂樹 ( むゆうじゅ むゆうげ ) の枝に右手を伸ばした時、右脇から生れました。
七歩歩いて、右手で天、左手で地を指さし、「 天上天下唯我独尊 ( てんじょうてんげ ゆいがどくそん ) 」 と発したというのは有名な話です。
また、その時に、天が喜んで甘露の雨を降らせたともあります。
ですから、4月8日の降誕会 ( ごうたんえ ) の時に、可愛らしい誕生仏に甘茶をそそぐのですね。

「 えっ お母さんの右脇から生れて、直ぐに歩いて言葉を発した。さらに、甘い雨まで降ってきたんだって! 
びっくりポンや( NHK朝ドラから頂戴しました m(__)m )」ですよね。
これは、すばらしいお方であるお釈迦様は、生まれながらにして私たちと違うということを誇張して表現したんでしょうね。みなさんおわかりでしょうが・・・。

H27.11.28 ルンビニ園1
バスを降り、 “ リキシャ ” に乗ってルンビニ園へ! 
20年程前には、すぐ近くまでバスで行けたそうです。


ところで、釈迦族の王子様としてお生まれになったお釈迦様ですが、誕生した年は今なお明らかではありません。
インド哲学・仏教思想の権威であった中村元先生の説は、紀元前463年 ~ 紀元前383年とありますが、他にも、紀元前624年に誕生したという説など、諸説あるのです。

生誕の地が、今回訪れたところだと言わるようになったのも、19世紀になってからだそうですから、分からないことがたくさんあり、これからの研究にかかっているのでしょう。
今回巡った聖地でもまだまだ発掘途中といったところが多かったですね。

わからないと言えば、特に西洋の学者においては、 「 お釈迦様自体が実在の人ではないのでは? 」 と疑っていた時代もあったそうです。
しかし、今回訪れた “ マヤ堂 ” の地に、お釈迦様誕生の地である印とされる 「 マーカーストーン 」 が発見されたのです。
それもたった20年前の1995年の調査で・・・。
多くの発見により、お釈迦様が歴史上の人物であったということが世界の学会で認められたわけです。

H27.11.28 マヤ堂
後の建物が “ マヤ堂 ”。 堂内は撮影禁止。
今回の最初の法要は、堂内で。ありがたくも導師をつとめさせていただきました。
マヤ堂は、遺構が風雨にさらされないように蓋うための近代的な建物です。
中は橋のような回廊で渡れるようになっています。

H27.11.28 アショーカ王柱1
続いて、アショーカ王柱の前での法要。

H27.11.28 アショーカ王柱2
石柱に刻まれた文字。わかりますか?
右が先端上部にあった “ 馬 ”。
崩れていて、馬だとはわかりませんでした。


「 マーカーストーン 」が見つかり、マヤ堂の脇にある “ アショーカ王柱 ” に刻まれた碑文の内容と一致したので、それにより確かにこの地が “ お釈迦様誕生の地 ” と決定し、世界遺産にも登録されました。


“ アショーカ王柱 ” というのは、紀元前3世紀頃に初めて全インドを統一したアショーカ王が、主要な地に石柱を40数カ所建てたものを言います。
仏教に帰依し、仏教を守護し、仏の教えを統治の基本とした理想の帝王といわれたそうです。

石柱には、その地の説明文が彫られていて、マヤ堂の脇にあるルンビニの石柱は、先端部分の3分の1が折れていますが、やはり文字が刻まれていました。
「 この地は、お釈迦様がお生まれになったところだから、租税を免じて生産物の8分の1のみ払うものとする。 」といった内容も刻まれているのだそうです。

H27.12.28 ルンビニ園3
さて、最初のワンちゃんの写真はここです。
マヤ堂側から撮りました。
後ろに見えるのが “ 沐浴の池 ”と菩提樹。
お釈迦さまが産湯を浸かったところと言われています。
お釈迦様の生誕の地で子育てしているワンちゃん。
カメラマンのためのサービスポーズのようにも見えました。


お釈迦さまと言えば、インドの方と思われがちですが、生誕の地 “ ルンビニ園 ” は、現在のネパールなんです。

インドからネパールに入るには、もちろん入国ビザが必要でした。
その手続きもそれなりにはかかりましたが、今回入国するのに一番大変だったのが、道路の渋滞。
1ヶ月以上前から、インドからネパールへの物資が規制され、ネパールに向かう貨物トラックが国境から約20km、片側に延々と停車していました。
それでなくても広くない道の左側を貨物トラックが隙間なく連なっているのです。
その脇を走るにしても対向車が来るたびにヒヤヒヤ。

当初予定のニューデリーからゴラクプールまでの飛行機が飛ばず、手前のラクノ―行きの便に変更になったこともあってのことですが、ホテル到着は19時45分。そしてすぐに夕食。
「 随分遅い到着になったな~ 」 などと思っていましたが、インドの旅はこの程度はあたりまえ。
6日目のホテル到着は、22時。それから夕食。風呂に入って明日の準備。そして翌日は、5時起床。
な~んていうのも、6日目ですから、あまり驚きもしませんでしたけどね。

H27.11.28 インド・ネパール国境
ネパールからインドに向かうところ。 
右側にネパールに向かう貨物トラックが連なって停車しているのがわかりますよね。


“ 時計を外せインドの旅 ” だそうです。
なすがまま。自然の流れに随ってという、ゆったりした気持ちがないと駄目なんですね~。


聖地では、どこでも靴を脱がなければなりませんでした。
“ 聖地 ” なんです。 観光地では決してありません。
1回目に報告したマハボディー寺院もそうでしたが、ルンビニでも敷地に入るところで身体チェックがありました。
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Author:zenzen1213

山形県尾花沢市にある
曹洞宗寺院の住職です

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