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第64回 東照寺写経の会

6月16日の 「 写経の会 」
参加者 22名。

今回の法話は
『 仏遺教経 』 の最終回!!
令和3年4月から始めて、2年3か月、19回の長編でしたね~
最後の部分は 「 もう一回。あと30分あればもっと説明できたのに・・・ 」 とも思ったのですが・・・。

汝等 ( なんだち ) 比丘 ( びく )、憂悩 ( うのう ) を懐くこと勿 ( なか ) れ 若し我、世に住すること一劫 ( いっこう ) するとも、会うものは亦た当 ( まさ ) に滅すべし。
のところからです。
「 弟子たちよ、嘆き悲しむな。もしも、私 ( お釈迦様 ) がこれから途方もなく長く生きたとしても、出会ったものとはいつかは別れなければならないのだ 」 と、お亡くなりになる前、力を振り絞って最後のお諭しを示されるのです。

 この世は無常である。
 精進を重ねて仏の智慧を得て、愚かな闇の心を滅しなさい。
 世の中は危うく脆い、屈強なる者はいない。
そのようなお話をした後に、次のように語られます。

我 今 滅を得ること、悪病を除くが如し。此れは是、応 ( まさ ) に捨つべき罪悪の物なり。仮に名づけて身と為 ( な ) す。生老病死の大海に没在せり。
何ぞ智者はこれを除滅することを得ること、怨賊 ( おんぞく ) を殺すが如くにして、而も歓喜せざること有らんや。


今から死を迎えるのは、悪い病気を取り除くようなものだ。
体は捨てるべきものなのだ。
自分の体だと思っていただけなのだ。
四つの苦しみの中で、もがいていたようなものだったのだ。
であるから、このように理解できる覚者は、煩悩を生じさせる体というものを滅することができるということは、忌み嫌う物を取り払うようなものであり、喜ばないということはあり得ないのだ。
とまで、おっしゃっているのです。

「 無余 ( むよ ) 涅槃 」 という肉体も滅し尽くして、食欲や睡眠欲という生きるための最低限の欲求さえも生じない悟りの境地に入れるという喜びを示されたのでしょう。
ありがたくもいただいた肉体を十分に使い切れた喜びにも聞こえます。

鈴木章子 ( あやこ ) さんの、次の詩を紹介しました。
   『 変 換 』
 死にむかって進んでいるのではない
 今をもらって生きているのだ
 今 ゼロであって当然な私が
 今 生きている
 ひき算から足し算の変換
 誰が教えてくれたのでしょう
 新しい生命
 嬉しくて 踊っています
 “いのち 日々あらたなり”
 うーん 分かります

鈴木章子さんは42歳で乳癌が見つかり、5年間の闘病生活の後、昭和63年に47歳で逝去された方です。
この詩は、闘病生活の最後の頃に書かれたのだと聞いた覚えがあります。
生まれなくてもなんの不思議でない自分が、ありがたくも人間として生きる今があることに感謝し、今を生き切るしあわせを教えてくれます。

お釈迦様は 「 この世は “ 苦 ” である 」 という大前提を示されました。
しかし、最後の旅の途中、バイシャーリーというところで
「 この世は美しい。人の命は甘美なものだ 」 と語っています。
生きることは苦しみ、悲しみがたくさんあります。
しかし、だからと言って、人生を嘆き悲しみで終わらせてはいけないのです。
なぜなら、お釈迦様の教えに耳を傾け、頷いて、実践する。
人間は、自分の行い次第で人生を変えられる生き物なのですから。
だからこそ、人生の終わりに “ 人の命は甘美なものだ ” とおっしゃったのでしょう。

2023.6.16
客間のテーブルの上に、花と家内の夏向きの作品がのっかっていました。

2023.6.12
今年のテッセンはきれいにたくさん咲きました。
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Author:zenzen1213

山形県尾花沢市にある
曹洞宗寺院の住職です

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