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第52回 東照寺写経の会

本日の参加者は9名。
今回から “ 茶話会 ” 再開しました。

今日の法話は
『 仏遺教経 』 7回目。

“ 憍慢 ( きょうまん ) ” と “ 諂曲 ( てんごく ) ” の戒めです。
「 憍慢 」 は 「 驕慢 」 とも書きます。

≪ 憍慢 : おごり高ぶる心を起こすな ≫

若し、憍慢を起こさば、當(まさ)に疾(はや)く之(これ)を滅すべし
(訳)もし、おごり高ぶる心を起こしたならば、まさに早くこれを取り除かねばならない。

自分が、地位や財力、能力など、他に優れていると思って鼻高々に振舞い、人を見下してはならないということです。
私たちはどうしても、人間の本質とは本来関係のない、地位や財力、能力などで人間の価値を測ってしまいがちですね。
高級車に乗ったり、ブランドのバッグを持つことで自分の価値が上がったと思ってしまったりもします。
人間の価値とはそこではないと気付くことが大切だと。

お釈迦様は、誰しもが “ 仏の御子 ” であり、 “ 仏心 ” というきれいな心、相手への思いやりの心を持っているのだとおっしゃっています。
その仏心を常に出し続けられる人こそが、大人 ( だいにん ) となれるのでしょう。
“ 大人 ” については、来月からの法話でお話をします。

ギリシャの哲学者 ソクラテスの言葉に
「 無知の知 」 というのがあります。
「知らないということを知っている」ということが知だと。
おごり高ぶっているうちは 「 無知の知 」 を知らないということになるのではないでしょうか。
   
十重禁戒の第七に “ 不自賛毀他戒 ( ふじさんきたかい ) ” があるように、自分自身をほめたたえ、他人をそしることをしない努力が必要です。

人が集まると、 「 あの人はいい人だ 」 という話しはなかなか出なくて、どうも悪口の方が多くなってしまいますね。
人の悪口を言うことで自分が上に立つような気持になっていますが、その反面、自らの心を汚しているということに気付かないんですね。

気をつけなければ・・・ ( 汗 )


≪ 諂曲 : 自分の本心を曲げて、こびへつらうな ≫

諂曲の心は道と相違す

(訳)自分の本心を曲げて、こびへつらうのは仏の道に背くのだ。

おべっかやお世辞を言うのは、自分に良いことが得られるようにという、よこしまな心 ( 下心 ) があるから、自分の心を曲げてお世辞を言うわけですね。
これは、相手に対してウソをついてだましているということですが、その前に、自分の心を曲げて自分自身の心にウソをつかなければなりません。
そのウソをつくということに罪悪感を感じなくなれば、生きていく上での良し悪しの基準があいまいになり、悪を悪と思わない人間になってしまうということです。


お釈迦さまは、こうした “ 驕慢 ” や “ 諂曲 ” に負けないためにはどうすべきかを次のように示しています。

宜(よろ)しく應(まさ)に端心(たんしん)にして質直を以て本となすべし
(訳)よく心を正し、そして、生まれながらにして持っているまっすぐな心 ( 仏心 )でもって、自分の心に正直に素直であることを心掛けなさい。


次回から、いよいよ
“ 八大人覚 ( はちだいにんがく ) ” です。

写経 台紙
般若心経の写経の台紙です。
これに、薄い和紙をのせて書き写します。
早い方で30分ほど。
1時間以内で、みなさん書き終わります。
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山形県尾花沢市にある
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